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寄席 落語、漫才、講談、浪花節、奇術、音曲などの大衆的、庶民的芸能が演じられる演芸場を、寄席といいます。東では元禄年間に江戸で始まり、西では200年ほど前、初代桂文治が大阪の座摩神社の境内に自分の小屋を建て、入場料を取って人々を集めて落語の興行を行ったのが上方の寄席のはじまりとされています。寄席で演じられる芸能のうち、特に漫才はテレビにもよく登場し、人々に楽しまれています。 漫才は二人が掛合いで滑稽な話をかわす演芸で、ボケ(間の抜けたことを言って笑わせる役の者)とツッコミ(話の筋を進める役の者)から成ります。舞台設定用の小道具を用いず、練り上げたネタに従って、ツカミ、導入、芝居を演じて笑いをとっていきます。関西では大正中期から舞台で演じられるようになり、昭和初年から掛合い話が中心となりました。この頃から漫才の舞台衣装は和服から洋服になり、横山エンタツ・花菱アチャコ、ミスワカナ・玉松一郎などに代表される、話芸としての漫才が確立されて現在に至っています。 漫才の演者は漫才師と呼ばれ、いわゆる“しゃべくり”によってのみ舞台設定をする点が腕の見せ所であり、それが漫才とコントとで異なる点です。毎年年末年始のこの時期には、日本中の寄席で数多くの漫才が演じられ、一種お正月の風物詩ともなっています。関西地方の漫才は特に上方漫才と呼ばれ、これは古くは都が京都にあったことから、京都を中心とする大阪の地域を差して上方と呼んだことに由来しています。関西地方には多くの漫才師を抱えるタレントプロダクションの吉本興行株式会社本社があり、有名な寄席も、なんばグランド花月、心斎橋2丁目劇場、難波座など数多くあります。 落語も漫才と並ぶ人気演芸のひとつです。江戸初期に安楽庵策伝が大名などに滑稽談を聞かせたのが落語の初めといい、江戸中期頃に「おとしばなし」の名称が生まれました。その後明治中期になって、一般に「ラクゴ」と呼ばれるようになりました。落語は、一人の演者が滑稽な話を登場人物の会話のやりとりを主として進める点で漫才と異なります。また漫才師は立って漫才を演じるのに対し、落語は床に敷いた座布団に座ったままで演じられます。台詞のほか、臨場感を出すために、表情、身振り、扇子などの小道具をよく使います。 落語家になるためには、まず師匠に入門を許可してもらわなければなりません。そして弟子入りし、何年も修行する必要があります。師弟関係は一生続くものですから、相応の慎重さが要求されます。家族がひとり増えると言っても過言ではないでしょう。 落語は江戸時代に始まりました。落語にはその時代のコミュニケーションの場としての床屋や湯屋がよく描かれていますが、時代とともに生活様式は大きくその姿を変えましたので、古い落語ネタは次第に時代の流れから取り残されていくようになりました。明治維新を迎えると落語は古典回帰の動きを見せ、本格的な江戸落語をやる落語研究会というものも出現するようになりました。しかし現代では、テレビ、映画、ゲームなどの娯楽に押され、落語は若者の娯楽としてはその人気に翳りを見せています。 こうした流れに呼応して、若い噺家たちは現代のライフスタイルに見合った落語のネタ作りに取り組んでいます。落語もまた漫才同様テレビで見ることができますが、やはり舞台で見るほうが臨場感があってずっと楽しめるでしょう。 伝統的な寄席の作りは、木造の建物に畳の床というものでしたが、第二次世界大戦を境にこうした伝統的な寄席はほとんど姿を消しました。昭和41年(1966)7月、「我が国古来の伝統的な芸能の公開、伝承者の養成、調査研究等を行い、その保存及び振興を図る」目的で、国立劇場法に基づいて特殊法人国立劇場が設立され、昭和54年(1979)3月には、大衆芸能のためのホール・演芸資料館(国立演芸場)ができあがりました。落語は、月に20日ほど催されています。 落語や漫才を鑑賞する場合のチケットは、通常1,500円から3,000円ぐらいです。英語の同時通訳サービスは、ほとんどありません。特にアドリブが多い漫才においては、同時通訳は難しいものとなっています。従いまして、落語や漫才を自分で楽しむためにも、日頃から自分の日本語能力にしっかり磨きをかけておいて下さい。 英語で読む「寄席」のページ:
http://gojapan.about.com/library/weekly/aa010500.htm
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