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たぬき
僕が初めて日本へ降り立ったとき、どの店の軒先にも小さな犬だかアナグマだか何だか分からないような置物が置いてあるのを目にしていた。「一体これは何だろう?」と首をかしげていた。瀬戸へ旅行へ行った時、日本人の友人がこれが一体何で、どんな意味が込められているものなのかを教えてくれた。僕が目にしていたこの置物はたぬきと呼ばれる日本中で目にすることのできる小動物であった。瀬戸物で出来ているたぬきはよく目にすることができるかもしれないが、本物と出くわすのはちょっと至難の業かな!たぬきはずんぐりむっくりした足の短い動物で、小さなほわほわの尻尾があり、イヌ科に属している。たぬきの英語名は"raccoon dog"で、これはよく日本のアナグマと間違えられるが、全く別の動物である。 日本の民話の中で、たぬきはとても強く、超能力すら持つと語られている。キツネのように姿を変える(化ける)ことが得意で、旅人をだましたり、困らせたりするために、あらゆるものに化けてはいたずらをするのが好きな動物であるという。道脇で後ろ足で立っているたぬきは、前足をのせたお腹(それとも陰嚢)がプックリ地面にまで膨らんでいる。また、たぬきはキツネのように化けては、畳8畳分もの巨大な陰嚢をぶら下げるという何とも危なく馬鹿げた遊びをしているとも民話には描かれている。 その大きなお腹から、たぬきは河豚(フグ:魚)と布袋(ホテイ:太った七福神の一人)に結び付けられることがある。また、その風貌からやかんにも結び付けられて言われることもある。徳川家康将軍は非礼にも"古だぬき"と称されていた。また、"たぬき顔"とは、丸々とした女性の顔を表すのに用いられることばである。今日の日本ではレストランや店の軒先にたぬきの置物が置かれているが、このたぬきはその店へ客を手招いているという。 昔、日本ではそれを食用、またはその茶黒い毛を筆にしたり、その骨が医学的に価値あるものであると評されて、狩猟がされていた。毛皮産業のために旧ソビエト連邦へも持ち出されていた。逃げたり放されたりした何匹かが繁殖を重ね、1950年代以降にはスカンジナビアや南方、遠くはフランスにまで広まった。 たぬきは木々の生い茂った、水が近くにあるところに住み、無脊椎動物や小動物(カエル、トカゲ、リス、ネズミ、地面に巣をかまえる鳥など)、特に秋には種子やイチゴを食べている。海のそばで暮らすたぬきは潮の流れに沿ってうち寄せられたカニやその他海の生物を探してはそれらを食べている。夕暮れ時の日が沈む間際が彼らにとって一番の活動時期で、明け方早朝の数時間もよく動いている。その数時間に奴らは餌を求めて10キロから20キロも歩くという。 1980年代から90年代にかけて、たぬきが人里、時には都市部にまで下りて来るようになり、餌を求めてはゴミ箱をあさったり、なかには庭で彼らに餌を与える人々も出てきてしまい、これが原因で、都市部でもごみを散らかしてはあさるたぬきに対応をしなければならい状況が生じてしまったようである。冬場にたぬきを目にすることは非常に少ないと思うが、これは、冬眠はしないが、秋にぐっと体重を蓄え、巣穴で11月から4月頃まで休むためである。時には餌を求めて暖かい場所へ現れたりもするので、ずっと眠り続けるということはほとんどない。 感染したたぬきは皮膚の悪化を患い、部分的な脱毛、ときには全体的に脱毛が進行して禿げ上がってしまう。たぬきの将来はといえば決して明るいものではないようである。多くのたぬきが現在、疥癬(かいせん)や寄生虫のダニに苦しみ始めている。これにより、低体温症を患い、死に至る可能性も高まりつつあり、1990年ぐらいからは冬場に息絶えてしまうたぬきが多く見受けられるようになった。疥癬はたぬき密集地の都市部に留まらず、野生の地域にまで広がりをみせ始め、特に神奈川県や宮城県では深刻な減少の一途を辿っている。1980年代後半から1990年代前半にかけ、疥癬は急激に広まり、それに感染した動物の数は一気に増加した。 逆に、日本のハンターの数は1980年代の間に減少し、10年間でハンターにより殺されたたぬきの数は1981年の75,000匹というピークから半減し、1990年には33,000匹にまで減少した。これには疥癬が過去20年間のたぬきの数を左右してきた影響が反映されているのかもしれない。 1998年7月29日付ジャパンタイムス掲載記事より借用
英語で読む「たぬき」情報:
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