黒田さゆみ先生(日本, AIJP講師)
 |
| 黒田さゆみ先生 |
今回のインタビューは、新しい職員パティー・ローが担当します。
パティー:「今週のニュースレターの職員紹介で、さゆみ先生にインタビューしたいですが、いいですか?」
黒田先生:「え?いいですけど、どうして私なの?」
パ:「さゆみ先生なら、いいインタビューになると思いましたから。」
黒:「はあ。でも水曜日に延期してもらってもいいかしら。今は学生さんとアポがあって、残念だけど時間がありません。」
パ:「はい、わかりました。」
水曜日になって。
パ:「インタビューを受けてくださって、ありがとうございます。では早速始めます。」
黒:「日本語でインタビューして、それを英語で書くんですか、それとも日本語で書くんですか?」
パ:「ええと、多分英語で書いて、後で加藤さんがそれを日本語に訳します。」
黒:「なぁーんで!?自分で両方できるんじゃない?」
パ:「もし日本語版も自分で書いたら、折角いい内容があっても、変に編集しちゃうかも。」
黒:「そう?では何から始めましょうか?」
パ:「仕事の話から始めましょう。どうして日本語教師になりましたか?」
黒:「あら、最初から難しい質問ね。そうねえ、学生時代のある年に、日本語を教えているとても素晴らしい先生との出会いがあったからかしら。それより前に、大学に入る前ですけど、尊敬していた先生の影響で、日本語教師養成講座について書かれた本で読んだことがあったからかなあ。大学では私は英語科にいましたけど、英語と日本語の両方の先生の資格を同時に取りました。その頃は、とても忙しかったです。地元企業で、日系ブラジル人に日本語を教えている先生のアシスタントとして、週に2回ボランティアをしていましたから。」
パ:「では、早い段階で実務経験できたということですね。」
黒:「そうですね。とてもいい練習、じゃなくて経験になりました。」
パ:「大学を卒業してからは、何をしましたか?」
黒:「すぐに語学学校で働き始めました。」
パ:「YAMASAですか?」
黒:「いいえ、別の学校です。そこに約3年勤めて、その後、オーストラリアへ行きました。」
パ:「どうしてオーストラリア?」
黒:「その頃、ちょうど日本語教育が盛んで、私は現地の小学校から高校まで、日本語のレベルを見てみたいと思ったんです。アデレードで2、3ヶ月オーストラリアの一般家庭にホームステイしながら、ボランティアで日本語を教えていました。ひとりで教えることは禁止されていましたから、私はオーストラリア人の先生のアシスタントとして、高校で教えていました。その他に、アデレード大学の社会人クラスでも教えていました。そして、そのクラスを教えることで、子供に教えることと大人に教えることとの違いに気付き始めたんです。この経験を通じて、『教えるなら、本気で勉強したいと思っている人たちに教えたい』と思うようになりました。」
パ:「その感覚、分かる、分かる。」
黒:「オーストラリアから帰国した後でYAMASAに入社して、それ以来ずっとここにいます。」
パ:「ずっとAIJPコースの先生?」
黒:「いいえ。初めはプライベートレッスンの担当で、毎週土曜日にブラジル人の学生さんたちに教えていました。その後で、中国へ派遣されたこともあります。」
パ:「中国?出張?」
黒:「ううん、まあそう言えるかな。天津のトヨタ自動車で、中国人従業員の方々に6ヶ月間日本語を教えていたんです。それは、トヨタ自動車が海外拠点の従業員に対して初めて行った日本語教育プログラムで、私がYAMASAから派遣された第一号です。」
パ:「そう言えば、去年、近藤先生も天津へ行ったような・・・。」
黒:「そうですよ。近藤先生で6人目になります。」
パ:「中国で教えるのはどんな感じ?」
黒:「難しかったですよ。120人に対してプレースメントテストしなきゃいけない事もあったし。」
パ:「YAMASAのプレースメントテストみたいなもの?」
黒:「そうですけど、何もかも自分ひとりでやらなきゃいけないのよ。インタビューもひとりひとりね。」
パ:「ひとりひとり、120人!?大変!」
黒:「何しろ、中国で7kg痩せたぐらいだから。オーストラリアじゃ5kg増えたけど。」
パ:「中国での生活はどうでしたか?」
黒:「中国語は「こんにちは」「さようなら」「ありがとう」ぐらいしか知らなかったから、買い物に行く時なんか、もうパラパラパラパラ辞書引きっ放し。でないと、自分が何を買ってるのかすら分からない。あの生活は、まるでサバイバルゲームみたいでしたね。」
パ:「前に、天津では大きなアパートにひとりで住んでたって教えてくれましたね?」
黒:「そう。大学の留学生の寮だったんですが、ベッドルームが3つに、キッチンも付いていました。」
パ:「それは3人用の部屋ですよね?でも、それはさゆみ先生だけ特別でしょ?」
黒:「そう思います。私は仕事で来ていたし、何もかも全部自分でやらなければなりませんでしたから。それにしても、一人暮らしにはちょっと広過ぎだったと思います。」
パ:「オーストラリアと中国へ行く前は、家を出たことは無かったですか?」
黒:「ありました。大学の時も、前の語学学校に居た時も。」
パ:「どこへ行った?」
黒:「両方とも岐阜でした。」
パ:「他の先生たちのことを聞きましょう。」
黒:「え?」
パ:「どんな職場ですか?」
黒:「働き易い、とてもいい環境ですよ。」
パ:「ホント?」
黒:「もちろん。皆いい先生だし、一緒に働き易いです。ただ、ひとりだけ怖い先生がいますけどね。」
パ:「誰?」
さゆみ先生は、指で銃の形をつくって私に向けるて言いました。“バァーン!”。
パ:「学生はどうですか?どんな印象ですか?」
黒:「印象ねえ。それは変化するものですからねえ・・・。」
パ:「どんな風に?」
黒:「そうだなあ、こんな説明で分かってもらえるかな。私が先生として駆け出しだった頃、私自身経験が浅かったし、学生も私と同世代かむしろ少し年上でした。でも、私も年齢を重ね、経験を積んできた今では、日本語を教える相手というより、ちゃんと学生を学生として見ることができるようになってきています。」
パ:「中国から帰国した後の話に戻るけど、YAMASAに戻って、AIJPコースで教えましたか?」
黒:「はい。短期的に特別集中コースを担当した時期もありましたが、それ以外は、ずっとAIJPの講師です。」
パ:「あおいホールのSILAC
」コースで教えたことはありますか?
黒:「もし機会を与えて頂ければ、是非、SILACで教えてみたいです。次の人事異動で、多分そうなると思います。」
パ:「AIJPコースで長い間教えてきたから、いろいろなクラスを担当しましたね?」
黒:「もちろん。全くの初心者から、最上級のAJSPクラスまで、全てのレベルで教えた経験があります。」
パ:「どのレベルが、教えるのは一番難しいですか?」
黒:「んーん、それぞれに異なった難しさがあるので『どのレベルが難しい』とは言えないです。」
パ:「では、もし自分で選べるとしたら、どのレベルを教えたいですか?」
黒:「様々なレベルを教えることが楽しいので、自分で選ぶなんてことはしたくないけど、もしどうしても自分で選ばなければならたいとしたら、多分初級レベルかな。」
パ:「どうして?」
黒:「全く日本語ができないとか、ひらがな・カタカナしか知らない人たちが、たった3ヶ月間である程度の会話ができるようになるまでの上達ぶりが、手に取るように実感としてわかるからだと思います。」
パ:「では仕事の話から少し離れて、プライベートの時間には何をしますか?」
黒:「時間があれば、映画を見に行きます。時には、ひとりで。」
パ:「どんな映画をご覧になりますか?」
黒:「ヒューマンドラマ。一番好きな俳優はロビン・ウィリアムスで、彼の映画『今を生きる』が大好きです。ミスター・ビーンのようなコメディーも好きです。しょっちゅうビデオを見ています。」
パ:「日本の映画は、あまり見ないですか?」
黒:「個人的には、ないですね。ただ、上級クラスを教える時の教材として利用することはしばしばあります。」
パ:「音楽はどうですか?どんな音楽を聴きますか?」
黒:「最近はリラクゼーション・ミュージックにハマってます。少し前は、ソフトジャズをよく聴きましたが。」
パ:「リラクゼーション・ミュージック?ストレスが多いですか?」
黒:「今、私のストレスレベルは、我慢の限界に達しています。」
パ:「・・・。」
黒:「だから、基本的に気持ちが落ち着く音楽を聴いて、心が休まるアロマテラピーを楽しむんです。」
パ:「まだ、趣味のステンドグラスを続けていますか?」
黒:「山田佐緒里先生と鈴木さおり先生と一緒にしながら、約3年続けています。これまで作ったもののほとんどは、家に飾ってあります。今はランプ作りに取り組み中ですが、何だか永遠に終わりそうになさそうです。」
パ:「将来の計画は何ですか?」
黒:「将来、挑戦してみたいことは様々あります。でも今は、日本語を教えながら、たくさんの出会いに囲まれて幸せです。」
パ:「今日はインタビューのために時間を割いてくれてありがとうございました。」
黒:「どういたしまして。」