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八丁味噌 (文・写真・デザイン:服部祐子)

八丁味噌は、徳川家康誕生の地、そして石製品、花火、味噌で栄えてきた城下町、岡崎のものです。八丁味噌は良質の丸大豆と食塩、水を原料として作られた独特の風味を持った味噌です。蒸した大豆を味噌玉にして、それをまめ麹にして塩水で仕込み、3年もの間天然熟成させます。岡崎城より西に八丁(一丁は約108メートル)離れた八丁村で何百年も前から伝わっています。明治時代には宮内庁御用達にも指定されています。

色が濃いので辛口と思われがちですが、塩分や水分は少なく、大豆タンパク質がアミノ酸によく分解されているのでとても消化吸収がよい味噌です。またビタミン、ミネラルが豊富で、食品添加物は一切使用されておらず、加熱殺菌処理もされていないので、本当の自然食品といえるのです。熟成された味噌には、酵母が存在します。酵母が生存するためには栄養(炭水化物)と適当な温度、酸素が必要で、東海地方では夏の暑さが厳しいため、炭水化物の量が多い米味噌や麦味噌を造ると酵母が勢いを増して極端に発酵してしまうのです。そのため、このあたりでは高温にも耐えられる炭水化物の少ない豆味噌が発達しました。味がよく長期保存ができ、さらに携帯できるということで三河武士に愛用され、徳川家康の大好物であったようです。現在、その耐久性がかわれ、南極観測隊の携帯食にもなっています。

出来た八丁味噌を岡崎城に献上するときに着ていた服
味噌を献上するときに着た服

八丁味噌の歴史

八丁味噌は徳川家康誕生の岡崎城から西に八丁離れた八丁村(今の八帖町)で仕込まれていた味噌がその起こりと伝えられています。近くに矢作川があるため船を使って大豆や塩が入手しやすく、この地特有の花崗岩質の地盤からの良質な天然水、適度な温度、湿度のおかげで味噌を作るにはとてもよい場所であったようです。現在では大豆は北海道の十勝などから、塩は沖縄などからのものを使用することもありますが、当初使用されていた大豆は主に矢作大豆や東北の南部大豆、塩は矢作川の河口に広がる吉良から運んでいたようです。塩、材木(味噌桶を作るため。口伝えでは今ある桶は吉野杉で作られているそうです)、石(重石のため)などの調達は船が使われました。塩は、吉良で船一杯に積まれ、その半分がこの地でおろされ残りは矢作川上流の足助まで船で運ばれました。そこから塩尻までは塩の道と呼ばれ歩いて運ばれたそうです。足助で空になった船は味噌を醸造するときに使われるための石をたくさん載せこの八丁まで運ばれました。そのため今使われている石は矢作川上流の足助の石ということです。代金はお金の代わりに味噌で支払われ、船主は自分の分の味噌だけを取りおき、残りを江戸や大阪まで運び売っていました。

昔使われていた木製の秤
昔使われていた木製の秤
八丁味噌は、風味がよいのと、水分が少ないために携帯や長期保存が可能なことで三河武士の兵糧として愛用されていました。江戸時代になると、徳川家康が江戸に移ったことにより、三河だけでなく江戸まで広まりました。そして大名の参勤交代によって全国にもその名を知られるようになっていきました。ところが、大正13年の関東大震災のとき、救援物資として、長野から白い米味噌が運ばれ、関東の人は白味噌の味を覚えていきました。さらに、昭和19年、第二次世界大戦のときも、同じように信州の米味噌は救援物資として関東にわたり、八丁味噌は消えていきました。現在では、米味噌が全国の8割を占め、八丁味噌は1割弱となっています。しかし、明治25年には宮内省への納品が始まり34年には宮内庁御用達に指定されました。昭和29年には制度が廃止されたものの引き続き八丁味噌は好まれて購入されています。

ヨーロッパ輸出用の味噌
ヨーロッパ輸出用の八丁味噌
現在では、八丁味噌は日本国内だけでなく海外33カ国にも輸出されています。八丁味噌は水分が少なく傷みにくいので保存がきくため、長い船旅にも耐えられるのです。海外に輸出されるものはその国によって原料などに規制がある場合が多く、国内のものとは別に作る必要があります。もちろん包装も国内のものとは違い海外仕様となっています。しかし、国内同様、海外でも白味噌が主流なので割合としてはまだまだ多くありません。

八丁味噌ができるまで

  1. 原料・・・粒のそろった丸大豆
  2. ふるい選別機・・・大豆を風力とふるいでチリを取り除く
  3. 選別機・・・ここで異物を取り除く
  4. 水で洗う
  5. 浸漬タンク・・・洗浄後、大豆を水に浸し水を十分に含ませる
  6. 蒸し釜・・・水を十分に切った大豆を蒸す(この過程が一番大切で
  7. 最も技術と経験が要求される)
  8. 蒸した大豆を適温まで冷ます
  9. 玉握り機・・・冷ました大豆を拳大に握り味噌玉を作る
  10. 種麹散布機・・・味噌玉の表面に種麹をつける
  11. 自動制麹装置(室)・・・豆麹を作り発酵の状態などをみる
  12. 攪拌機・・・麹のついた味噌玉と水と塩を配合し混合する
  13. 熟成倉・・・六尺桶の中に約6トンの味噌を仕込み3トン分の石を積み上げて3年間ねかせる
日吉丸(少年時代の豊臣秀吉)と蜂須賀小六との出会いの図が描かれた看板(岡崎駅に掲げられていた)
昭和時代の看板
昔使われていた蒸気発生用の鉄製の大釜
昔使われた蒸気発生用の鉄釜

昔はすべて人の手によって行われていました。そのころは、大豆を蒸すための蒸気を発生させるために鉄製の大釜を使っていました。当時カクキューで使われていた釜は服部工業(創業117年、岡崎市羽根町。右の看板が掲げられていた岡崎駅の近くにある。)で作られていたものです。その鉄釜には穴が開いているものがありますがこれは、「湯口」と呼ばれていました。酒屋、味噌屋さんでは大釜を使って蒸し作業をするのですが、蒸す場合に蒸篭(せいろ)を釜の上に載せてしまうと水が蒸発した時に追加の水を入れる必要が出ます。その為に蒸篭を動かさずに水を注ぐ為の注ぎ口としてあけられました。通常は1個だけで「湯口付き」といわれていましたが、非常にまれなケースでこれが二つついているものもあるようで特別につけたものだそうです。湯口は普通に鋳造された大釜に、後からドリルで穴を開けて作られたそうです。甑(こしき)という大きな桶の中で大豆は蒸され、拳大の味噌玉に握られ麹をつけられます。もちろん仕込み作業も手で行われており、半切りという大きな盥(たらい)の中で塩と水とを混ぜ合わせます。

明治や大正に作られた味噌桶(竹の箍は鉄のものに取り替えられた)
明治や大正に作られた味噌桶
出来上がった味噌の元を六尺もある大きな桶の中に運び入れるのも、それを桶の中で踏み固めるのも人によって行われていました。この六尺桶は杉でできており、直径、深さの両方とも六尺あり、材料となる板の厚さは10センチ以上と、かなり大きな桶です。 およそ6トン分の味噌を桶の中につめ終わった後は、薄くて細長い板を15-20枚ほど編むように交互に敷いていき、その上に重石として約3トンの石を載せ、そのまま一度もはずすことなく3年ねかせます。石は味噌の半分ほどのせます。現在でも石積みだけは昔と同じように手作業で行われています。のせられた石はピラミッドのようにも見えますが、石を積むのもただ積めばいいというものではなく、力学的によく計算された上で、外側を高くし、平均に力がかかり中心に落ちていくように積んでいくのだそうです。ちょうどこれはお城の石垣と同じ仕組みになっていて崩れることはないということです。昔は一つずつ手で下から上へと梯子づたいに手渡しで運んでいましたが、今はフォークリフトを使って一気に石を上まで持ち上げ3-4人で30分から1時間ほどで積み上げるということです。一つ一つの石は重くても20キロほどの人一人で運べる程度のものです。なぜ重たい3トンの石一つをのせないのかというと、建物の形がたまたまそうなっているのと、石一つでは、どうしても偏りができて平らに載るかどうかわからないからだそうです。水なら理論的にはできるそうですが、水は味噌にとっては天敵なので使えないのだそうです。

八丁味噌は品質管理の必要がないほど簡単に作れるようです。雨漏りなどにさえ気をつけていればよいのだそうです。自然の成り行きに任せて発酵、醸造するので八丁味噌は天然醸造と呼ばれます。即醸法はコストダウンになるということで広がりましたが、風味がどうしても単純になりがちです。冷夏や暖冬によって多少その年によって味が変わることがあるようですが、人の味覚ではその違いがわからないそうです。現在味噌桶はすべて台の上に置かれていますが、昔は直接地面に置かれていたようです。というのも、今ではフォークリフトを使って味噌桶の移動をするので、そのために台が必要になりますが、15年ほど前までは総重量が6トンをはるかに越える重い桶をずっと地面の上に置いていたため動かすことができず、桶中心に生産工程が流れていました。現在ではフォークリフトの力を借り、桶中心の考え方から、本来の主役である味噌を中心とした工程が作られました。

味噌桶にこびりついた味噌
味噌桶にこびりついた味噌
今ではほぼ全工程が機械によって行われるようになりましたが、味噌をつめる六尺桶は今でも100年前のものを使っているそうです。ちなみに味噌を作るためのものは樽ではなく桶といいます。樽は蓋があるもののことを言いますが、桶は蓋がなくて蓋ができるもののことを言います。ビールをつくるためのものは蓋があるので樽と呼ばれ、お風呂には蓋がついておらず後から蓋をのせることができるので風呂桶なのです。ただ、市場に出回る味噌のうち化粧樽に入ったものがありますが、それは最初から蓋を閉めることを目的として作ってあるため桶とは呼ばず樽と呼びます。桶の裏には作った人たちの名前や作られた年が書いてあり、歴史を物語っています。今でも昔のものを使っている理由として、その桶の中に何世紀も生き続けている微生物(アスペルギルス・オリゼー)があります。これによって独特な味噌が出来上がります。八丁味噌を作る桶は一度使った後は次の仕込みになるまで洗いません。洗うと桶が乾燥してばらばらになってしまうからです。そのため使用直後の桶には味噌がこびりついています。

1839年に作られた味噌桶。カクキューで最も古いもの
1839年に作られた味噌桶
1839年に作られた味噌桶の内側
同じ味噌桶の内側
もう一つの理由として、桶不足があります。桶は一度に大体50-60個作られます。大正時代のものが今では一番新しいのだそうです。というのは桶を作る「桶師」、そして桶をつなぎとめておくための竹でできた箍(たが)を作る「箍師」がもういないのです。昔そうだった人たちは今もう高齢者となり、体力がないために大きな桶を作ることができないのです。カクキューでは10年ほど前までは桶師や箍師が社内にいたそうですが、その人達はすでに社員となっているそうです。その上桶を作るのに必要な杉の木もだんだんと少なくなってきています。桶を作るのに適しているのは杉や檜なのですが、檜は高価で杉よりも硬いので加工するのがより大変なのです。今はまだ研究段階ですが、杉に変わるものとしてステンレスやFRPなどのものが考えられています。しかし、杉の桶とステンレスやFRP(Fibre Reinforced Plastic: ガラス繊維で強化されたプラスチック)の桶では味が変わってしまうのではないかという心配があります。そのほかにも、酒屋さんなどの中古品を安く買い取るのも一つの方法だろうということです。一方箍は、竹で作られていたものは長い年月がたつとだんだんとゆるくなってきてしまいます。今ではゆるくなってしまった竹の箍は全て鉄のものに変わったようです。その鉄のたがが赤いのはさび止めを塗ってあるためです。箍が竹から鉄に変わっても特に味には問題ないということで、鉄の箍は竹の箍同様の役目を果たします。

味噌の豆知識

味噌は中国か朝鮮半島を経てもたらされたものという説があります。しかし現在日本人が食べている味噌は温暖多湿な日本の国土条件によって独特に作られたものという考えも出されてきました。縄文時代の生活跡からそれらしきものがあったことはわかっていますが、正式な文献に味噌のことが出てくるのは平安時代になってからのことのようです。味噌というのは庶民のものなので文献があまりなかったようです。味噌が現在のような味噌汁の形になるのは室町時代からといわれています。それまでは粒を残したまま調味料や蛋白質の補給源としての大豆を食べていました。味噌を擂(す)ることに気がついたのはどうやら鎌倉時代からのようです。よって味噌料理のほとんどはこのころ形づくられています。

味噌を色で分けると、赤味噌と白味噌があります(中間の味噌を中味噌と呼ぶ人もいます)。また原料で分けると、豆味噌、米味噌、麦味噌があります。白味噌は大豆を煮て、赤味噌は大豆を蒸して作ります。今は白味噌でも蒸してつくるところもあります。蒸すと栄養価が高くなります。味噌の原料にはどれも大豆が使われますが、大豆に麹をつけて豆麹だけで作られたものが豆味噌。大豆に麹をつけずに米や麦に麹をつけて米糀、麦糀としたものをそれぞれ米味噌、麦味噌といいます。こうじ(麹・糀)とはカビの一種で、消化酵素を分泌します。大豆の蛋白質や脂肪をアミノ酸に分解するのはこうじの働きのおかげです。仕込むときにカビそのものは死んでしまいますが、酵素は働き続けるのでそれを味噌作りに利用します。豆味噌はほかの二つの味噌に比べると炭水化物の量が少なくなっています。

全国の85%ほどは米味噌で占められており、八丁味噌率いる豆味噌は12%、麦味噌は3%となっています。豆味噌の八丁味噌は、一般的な味噌よりも熟成期間が長く、高タンパクで、水分が少なく、味が濃厚ですが、その割に塩分は控えめで栄養価がとても高い味噌です。八丁味噌は赤味噌ですが、一般に白い米味噌や麦味噌でも赤いものはあります。仙台味噌がその例です。米糀を使うと塩分が高くなります。米で作られる信州味噌はおよそ12-18%、豆味噌の八丁味噌は約9-12%の塩分を含みます。熟成時間は種類によって変わります。甘口の白味噌は1週間もあればできてしまいますが、白い米味噌は1ヶ月から3ヶ月、赤い米味噌は3ヶ月から1年、そして豆味噌は6ヶ月から2年ほどかかります。一部の米味噌では低温で7年以上熟成させる必要があるものもあります。

味噌の色に大きく関係するのが「メイラード反応」という現象です。味噌の原料である大豆などのアミノ酸が糖と反応して褐色になることをいいます。これは大豆を浸水させる時間や大豆を煮たり蒸したりする間などに起こる現象で、味噌が熟成している間も継続します。原料や製造方法によって起こり方に差は出てきますが、この反応がよく起これば起こるほど味噌の褐色化が進むのです。よって色が濃い豆味噌に長期間の熟成が必要なものが多いのはこのためなのです。八丁味噌は釜の中で大豆を蒸すことでこのような濃い色を呈するのです。

八丁味噌の赤出しというものがありますが、それは米糀が混ざったもので、本来の八丁味噌よりもやわらかく、口当たりがよくなっています。赤出しとは赤いエキスを出すためにそう呼ばれているのです。赤だしと「だ」がひらがなでかかれたものがありますが、もともと赤出しというものは八丁味噌から生まれたもので、後に誰かがひらがなにしたものではないかと思われます。本来の赤出しは、八丁味噌を擂って出した汁をふきんの中に入れて絞り、その汁に白を混ぜたものです。簡単に言うと白の中に赤い汁を入れたものということでしょうか。緑の野菜が入った味噌汁には白と赤のしぼったものが8対2、貝類の味噌汁は白と赤が2対8の割合で入れるとあうそうです。ほかに白味噌に5%の八丁味噌が入ったものを「赤ざし」といい、その割合が15%になると「赤がち」、白味噌と等量の八丁味噌が入ったものを「袱紗(ふくさ)」といいます。

八丁味噌の副産物としてたまりがあります。たまりとは味噌醸造時に味噌の上にたまる液体のことです。豆味噌文化圏ではこのたまり醤油が大変好まれています。味噌とたまりは深い関係がありますが、味噌を作るときはたまりを取らないところもあるようです。味噌を作る場合は塩分を少なくするので、そこからできるたまりもコクはありますが、塩分が少な目になり味が落ちます。また、たまりを取った後の味噌は、かすだけになってしまいます。味噌とたまりは出発点が違うのです。たまりを作る場合はたまり専用に調合しなければなりません。たまりの様に真っ黒な醤油は、豆と塩だけで作られたものです。普通の醤油は小麦も使っているために色が薄く、さらに小麦の使用率が高い白醤油は、さらに淡い色をしていますが、保存が悪いと黒ずんでしまいます。味噌や醤油の褐色は、デンプン由来のものとタンパク質由来のものが反応してできたものです。薄口醤油は見た目とは違い、濃い口醤油よりも塩分は濃いです。

味噌の効用

  • 癌予防・・・味噌が癌を予防することは、1981年国立ガンセンター研究所の平山雄博士の研究でわかりました。それによると、味噌汁を毎日食べている人とまったく食べない人の胃がんでの死亡率は、まったく食べない人のほうが50%も高くなっています。また、味噌汁の中に入っている野菜にも発ガン予防の効果があるということです。また1992年、広島大学原爆放射能医学研究所の伊藤明弘教授の実験により、普通のえさを食べた雄のマウスの62%が中性子線を浴びて肝臓ガンになったのに対し、味噌が10%混ざったえさを食べた雄のマウスは中性子線を浴びても、13%しか肝臓ガンになりませんでした。

  • 放射線物質の除去・・・広島での原爆の後遺症調査で「味噌を食べていたので原爆後遺症が軽症で済んだ」という報告があったそうです。広島大学の伊藤明弘教授は、マウスを使って効果を確かめています。マウスを4つのグループに分け、普通の餌、乾燥赤味噌を10%入れた餌、醤油を10%入れた餌、そして味噌と同じだけの塩分を入れた餌をそれぞれ与えました。そして放射線を当て3日後に、マウスの小腸粘膜肝細胞の生存率を調べました。その結果、味噌入りのえさを食べたマウスのグループの細胞生存率が最も高く、味噌入り、醤油入りのえさを食べたグループでは、傷んだはずの粘膜細胞の再生が見られたそうです。これはヨーロッパでも知られており、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の際に、味噌は大量に輸出されたそうです。

  • 老化防止・・・味噌に含まれるビタミンEや、ダイゼイン、サポニン、褐色色素などは体内の酸化を防止する役目があります。健康を維持し、若さを保つためには、体内物質の酸化を促す活性酸素を消さなければなりません。味噌がどれだけ活性酸素を抑えるかということが、1995年に大妻女子大学の加藤博通教授によって明らかにされました。その結果、普通の味噌や塩分控えめの味噌、それぞれに活性酸素を抑える働きが見られましたが、塩分の少ない味噌のほうが高い効果があらわれました。塩分の少ない八丁味噌には、より高い効果があるということでしょう。それを裏付けるように、平均寿命が37.8だった時代に、徳川家康は75歳の長寿を保ちました。彼は「五菜三根」をこころがけたといわれており、大根などの根野菜が3種類、そしてその葉も含めた葉が5種類も入った味噌汁を飲んでいたそうです。

  • 消化促進・・・大豆の中に入っているタンパク質そのものは消化吸収されにくいのですが、それが味噌の発酵過程で酵素や微生物の助けをかり、消化吸収されやすいかたちに変わります。さらに、味噌の中には活性度の高い消化酵素がたくさん含まれているので、ほかの食品の消化吸収を助ける働きをします。

  • 毒素分解作用・・・味噌に含まれる微生物は腸内の腐敗菌や有害物質を体外に送り出す働きを持っています。

    ほかにも

  • 動脈硬化の予防

  • 血圧抑制

  • 美白効果、しみの解消

  • 大豆アレルゲンの分解

  • タバコの害の防止

  • 二日酔いの解消

  • 骨粗鬆症の予防

    などといわれています。

八丁味噌を使った商品

八丁味噌を使った食べものにはこんなものもあるようです。

  • プリッツ八丁味噌味
  • ベビースターラーメン味噌煮込みうどん八丁味噌ダレつき
  • 八丁味噌キャラメル
  • 八丁味噌カステラ
  • 八丁味噌ういろう
  • 八丁味噌アイス
  • ばかうけ八丁味噌風味
  • 柿の種八丁味噌風味

八丁味噌の醸造元

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