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平等院 平等院は、日本の中でも最も美しく、最もよく人が訪れる場所のひとつです。1994年にはユネスコにより世界遺産に登録されました。まだここを訪れたことが無い人でも、恐らくは10円硬貨の表の模様で一度はその姿をご覧になったことがあるでしょう。平等院は日本の代表的な文化財で、その特徴的な姿の建物から、昭和26年に10円硬貨のデザインに選ばれました。 平等院をつくった藤原頼通は、父道長から別荘のひとつを譲り受け、1052年にそれを寺院に改めて平等院としました。1052年は、俗に末法初年と言われ、仏の救済が平等ということを意味しているため、平等院と名付けられました。 律令政治が形式化した10世紀前後から11世紀中頃に院政が成立するまでまで間、摂関が天皇の後見として政務の実権をとる政治形態、いわゆる摂関政治が執られました。この時代には、もっぱら藤原氏が摂関に就任し、君主に代わって政務を行いました。藤原頼通は1017年から1019年まで摂政をつとめ、1019年から1067年まで関白でした。 初代摂政藤原良房(866年就任)からおよそ300年に渡り、常に摂関の職においては藤原氏がこの地位を独占していました。特に、藤原道長(966年−1028年)、頼通父子の時代は権勢を誇っていました。そして、藤原氏の栄華・王朝文化の最大の遺構平等院が、その繁栄振りを今に伝えています。 宇治川、宇治橋、網代と、古来より景勝の地として名高かった宇治は、794年の平安遷都により、歴史の中でそれまで以上に重要な役割を演じるようになりました。奈良から山城・近江・北陸への交通の要衝であった宇治は、交通の便利さと、美しい風景を兼ね備えた場所として、貴族たちの別荘地として注目されるようになりました。そして、源融(みなもとのとおる)の宇治別荘を後に藤原道長が購入し、息子の頼通の時代に平等院となったのです。別荘地宇治は、完全に平安貴族たちの生活圏となっていました。 これら貴族の別荘は、くつろぎの場であるとともに、精神的な安息をえる場所でもありました。従って、当時の別荘には御堂と呼ばれる持仏堂が見られるのが普通で、貴族たちは御堂にこもり、仏と対話して加護を願う時間を持ったといわれています。10円硬貨のデザインで知られる鳳凰堂が、平等院の阿弥陀堂で、平安時代後期、1053年に時の関白藤原頼通によって建立されたました。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできる貴重な遺構で、阿字池と呼ばれる池の中島に建てられていることが大きな特徴となっています。 阿弥陀如来は西方の極楽浄土に住んでいる教主で、平等院の阿弥陀如来像は座って定印をとっていることから、瞑想している最中だと思われます。鳳凰堂は「極楽浄土で瞑想中の阿弥陀如来」を再現しているようでもあります。建物全体が鳳凰の形をしているため鳳凰堂と呼ばれますが、本来は平等院阿弥陀堂と言うべきでしょう。藤原頼道は末法思想の中、せめて来世には極楽で生まれ変わりたいと願い、ここに極楽浄土を再現しようとしたのかも知れません。『続本朝往生伝』という平安時代の本に「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述がありところから、当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土に例えていたことが伺えます。因みに芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に登場する極楽の蓮池は、阿字池のことだといわれています。 平等院では、鳳凰堂以外にもいくつか文化遺産を見ることができます。
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